音楽好き筋ジス患者HORIの正直ブログ

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筋ジスを抱える僕にとって"生きる"ということ #筋ジストロフィー #難病

皆さん、こんにちは。HORIです。

先日は検査のための入院の日々について綴りましたが、退院した翌日には母方の祖母の葬式がありました。

先日も報告させて頂きましたが、先月の24日に母方の祖母が亡くなりました。

葬式の日程は、僕が直後に検査入院を控えていたので、検査入院からの退院後の翌日に決まりました。

祖母が亡くなった当日も亡くなってしばらく経っても、そろそろかもしれないという
覚悟をしていたからか、不思議とそこまで悲しくはなかったですが、もう生きてる祖母と会えないのだなというちょっとした喪失感はありました。

 

祖母の葬式当日

当日は葬式の参列に加えて、花入れの儀と喪主の挨拶の際のBGM再生の担当を任されていました。

お昼に葬式があったので、11時半ぐらいに自宅を出て、葬儀場へと向かいました。

会場が着いてから、久々に会ったいとこたちと会話してから、亡くなってから祖母の顔を見ていなかったので、顔を覗いて見たところ、すごく瘦せこけた姿でしたが、まるで寝ているかのような安らかな顔を見た瞬間に、思わず目の奥から涙がちょろっと湧き
出てきました。

ここでようやく祖母の死というものを理解したのだと思います。

葬式が始まるとお昼ご飯を食べる時間がなかったので、葬式が始まる前にいとこたちと叔父嫁と父とで葬儀場近くのコンビニへ軽食を調達して、みんなで一緒に食べました。

葬儀の時間が近づくと、親戚たちがゾロゾロとやってきて、あっという間に葬儀の時間となりました。

お坊さんによる読経とみんなのお焼香が終わると、仏壇に飾ってある花や思い入れの品を納棺しました。

この時が祖母の姿を見れる最後の瞬間だったため、参列者全員が祖母へ声を掛けて涙を流していました。

笑顔で最後のお別れをしようと思っていた僕も、「最後だから笑顔でいようよ」と言いながらも、この時ばかりは涙を堪えきれずにいました。

「ありがとう」という言葉と、「ロビンと一緒に遊んでやってな」と声を掛けました。

悲しいから泣いたのではなく、寂しいから泣いたのだと思います。

きっとみんなも同じ気持ちだったに違いありません。

僕はそこまでおばあちゃんっ子という感じではなく、大きくなるにつれて素直になれずについふざけたり、恥ずかしがったりしてしまいましたが、よく一緒に出掛けたり、
ご飯を一緒に食べたり、誕生日パーティーをしたりなどと何度も一緒に時間を過ごし
ました。

そうした時間の中で祖母が老衰していきながらも、頑張って自分の力で歩いて、自分の意思を貫いて、いつでも「健ちゃん」と愛してくれました。時には笑顔を見せてくれ
ました。

今にして思えば、そんな祖母の姿がとても癒しになっていたし、そんな姿が好きで嬉しかったのだと思います。

そういうことにも気づいてなおさら涙を止めることはできませんでした。

棺桶の蓋が閉じられると、次は少し離れた火葬場にて火葬の儀が始まります。

火葬の前には再び、お坊さんによる読経とみんなのお焼香がありました。

火葬場の中に祖母が送られて、終わるまでの1時間は参列者たちと一緒にあんみつを
頬張りながら歓談の時間となりました。

その後は、骨上げの儀式があり、それが終わると再び葬儀場に戻って線香を上げて、
その日は終わりました。

 

葬式を終えて思ったこと

そんな1日がかりの葬式が終わってから、これで終わったのだとは思わなかったです。

むしろここからが始まりなんだと思いました。

というのも、祖母が亡くなったという事実、祖母がこの世にいたということ、孫である僕やいとこたちを愛情を持って優しく接してくれたその想いを、僕たちは決して忘れてはならないと思ったのと同時に、その想いを胸に抱いて、僕らは人生を全うすることが
使命なのだと思いました。

そして、長年ずっと祖母と一緒に暮らしていた叔母を気にかけてあげることも必要ですし、自分自身も含めた残された人たちを大切に一緒に過ごしていくことが大事なのだと思いました。

想いを繋いでいくことこそが、命を繋ぐということで、人間は子孫繁栄だけではなく、そうした役割もあるのではないかと思います。

そう思ったので、普段そこまで話さないいとこたちにも「俺たちはばあちゃんのくれた優しさを胸に一緒に強く長く生きていこう」と真剣な話をしました。

いとこたちは長女・長男・次男という構成なのですが、その内の長女と長男に上記の
内容でLINEをしました。

長女の方は、「うん!そうしようね!」と元気な返信が、長男の方は「おう」とだけ
返信が来ましたが、2人とも僕の想いは伝わったようでした。

叔母にも独りじゃない、みんながついてるということを伝えてあげました。

それに対して叔母は悲しみに暮れている感じではなかったので、安心しました。

 

愛犬と祖母を亡くして意識していること

5年前の8月に愛犬ロビンを、今年の7月に母方の祖母を亡くして、死というものがそう遠くないものと感じるようになりました。

また、お世話になっていたヘルパーが亡くなったことや父の食道ガンと舌ガンを患ったこと、父方の祖母が胃ガンを患ったこともそう感じるようになった要因でもあります。

さらに、僕自身が筋ジストロフィーという進行性の難病を患っており、普通の人たち
よりも死期が近く、去年の夏に痰が絡んで緊急搬送されたという事件と車との接触事故もあったことからなおさら死というものが身近に感じます。

そうした中で一番思うのは、人間いつ死ぬか分からないということです。

普段生きている中で死というものはそんなに感じる瞬間はないと思います。

しかし、近年は新型コロナの流行もあり、みなさんも死というものはそこまで遠くは
ないと感じるはずです。

老いや病気がないとしても、突然交通事故に遭ってしまうもしれない。

突然、台風や地震などの未曾有の自然災害が街を襲ってくるかもしれない。

昨日まで健康だったのに、新型コロナに感染して急に死んでしまうかもしれない。

そうなってしまう可能性がゼロではないため、人間はいつ死ぬか分からないものです。

いつ死ぬか分からないから、後悔のないように生きることが大切だと思います。

いつかはやりたいこと、いつかは行きたい場所、いつかは会いたい人などみなさんの中には存在すると思います。

突然病に侵されてやりたいことができなくなるかもしれないですし、行きたい場所も
永遠に存在しているとは限らないですし、会いたい人はずっと生きているわけではないです。

だからこそ、やりたいこと、行きたい場所、会いたい人があるのなら、いるのなら、
それをいつかではなくできる時にやりましょう。

そう思って僕は身体が動かなくなる前に、たくさんのライブに足を運びたいし、多くの場所を訪れたいし、食べられなくなる前に様々なグルメを堪能したいし、話せなくなる前に家族や親族、友達、ヘルパーたちとたくさん話したいしし、人間だからこそ性的なことも楽しみたいと思っています。

何にも特別なことを考えているわけじゃないです。

ただ、自分が後悔することのないように生きていきたい。それだけです。

もし何かに迷っている人がいたら、僕の考えに共感してもらえたら嬉しいです。

 

自分らしく生きるということ

やりたいことをやるということを意識するほかにも考えていることがあります。

それは、自分らしく生きるということです。

僕は生まれてからずっと病気を抱えてきて、いわゆる障害者として生きてきました。

と言っても、幼稚園から大学まで特別支援学校などではなく、普通のところに通って
いましたし、みんなと同じように生きて学んで遊んできましたし、会社に就職して仕事もしてきましたし、ものすごくざっくりと言えば基本的には車イスに乗っているだけで周りと大きく違うと意識していません。

学校で共に過ごしてきた友人たちも家で遊ぶことは昔から普通だったし、普通の人間として接してきたと話しています。

僕の病気はあくまでもただの病気で、僕を表す個性ではありません。

毎日、必ず入浴しないと気が済まない上にホコリを嫌い、人の臭いや汗に敏感で潔癖なことや物の向きをきっちり揃えないと気持ちが悪い性格で、きゅうりとスイカは絶対に嫌いで、ロックが大好きで、女遊びも大好きで、家族や大事な仲間を傷つける人は絶対に許せず、辛い物がそこそこ好きで、酸っぱい物は苦手で、などなど自分らしさを全てあげようとするとキリがないですが、これらが僕を表す個性です。

そうして生きてきたこともあってか、福祉用具を使うことには多少抵抗がありますし、見た目がダサかったり、いかにも「私は障害者です!」と分かってしまいそうな用具は使いたくないと思っています。

例えば、車イスのテーブルとか福祉車両とかああいったものはダサいと思いますし、
いかにも障害者だとアピールしているように思えてしまいます。

筋ジストロフィーは全身の筋力が衰えていくため、いずれは気管切開を行った人工呼吸器の使用もしていくことになりますし、胃ろうの導入もしていくことになります。

頭では必要だと分かっていても、普通の人として生きてきた身としては、そういうものを着けてまで生きていたくはないと思っています。

QOL(Quality Of Life)を優先して、人間らしく生きることを選びたいと思っている
ので、現時点ではそういった選択を取ることは考えていません。

今はそう言いつつも、恐らくいざそういう状況に直面すると、人間らしさを失ってでも生きたいと思うのかもしれません。

そのため、もしそういう風にしたいと思っても処置ができないという事態にならない
ように、そういった処置をしても支障のないように、念のため準備を進めているところです。

具体的には、どこまでヘルパーが介入できるか確認したり、今後そうなるかもしれないということを周知しておいたり、声によるコミュニケーションを取れるように合成音声の活用を検討したりといったことをしています。

それでもやっぱり今の状態をなるべくキープして人間らしく生きていたいと思うので、少しでもキープできるように呼吸器を使用する時間を増やしたり、LDLコレステロール対策のために食事に気を遣ったり、痰吸引機の導入を進めたりしているところです。

 

病気に対する考え方

昔も今も病状が進行していく度に、正直落ち込むことや悩むことも多くありましたが、
そうするだけでなく、そうしたらなるべく前のようにできるにはどうしたらいいのか、なるべく維持できるようにはどうしたらいいのかについて考えて実行してきました。

いくら病気のことで、悲しんでも悩んでも落ち込んでも、今は病気が治ることは絶対にありません。

なので、そういうことをずっと考えているのは何の解決にもならないですし、時間の
無駄ですし、生きる気力というものを失ってしまいます。

病気は神様からの試練だとか言う人もいますが、病気はただ運悪くなってしまっただけなので、病気を受け入れるというよりかは、「病気なんてクソ食らえだ!」ぐらいの
気持ちで何がなんでも生きて抜いてやろうと思っています。

だから今日も僕は大好きなロックを聴きながら、時にライブに出かけたり、カラオケに行ったり、お出かけをしたり、会いたい人たちと会ったり、美味しいご飯を食べたり、女の子と遊んだりなど自分らしくを貫きながら、日々を過ごして生きています!

人間そういう活力となるものが1つでもないと確実にダメになります。

なので、この記事を読んでくれた皆さんには、そういったものを見つけて生きていってほしいと伝えたいです。

いつになくシリアスに、長くなってしまいましたが、以上となります。

それではまた、サヨナラ!

 

おまけ

色々と満喫している様子を共有しておきます!

ハワイの海をバックにパシャリ

 

NEX_FEST Tokyo -Extra-にてヘルパーとパシャリ

 

御殿場アウトレットにてパシャリ

 

藤子・F・不二雄ミュージアムにてドラえもんとパシャリ

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