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ミス日本優勝者のグランプリ辞退について思うこと

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引用:https://article.auone.jp/detail/1/5/9/100_9_r_20240208_1707394582422009

皆さん、こんにちは!HORIです!

昨日、スマホChromeアプリのオススメ記事で気になる記事があったので、今回その記事について触れようかと思います。

ミス日本コンテスト優勝者のグランプリ辞退の騒動について

気になる記事というのは、この記事のことです。

1月22日に第56回ミス日本コンテスト2024椎野カロリーナさんがグランプリに輝いたのですが、文春オンラインからの椎野カロリーナさんが妻子のある男性との間に不倫関係があったという報道を受けて、グランプリ受賞を辞退したというこのニュース。

普段、こういったコンテストにはあまり興味がないのですが、ミス日本にも関わらず、見た目が日本人離れしている方が受賞したということで、多様性を認める時代の波がこういうところにまで押し寄せてきたのかと思うのと同時に、人種差別について世の中が考えるいいきっかけになると思い、感銘を受けたのですが、結果的に不倫関係にあってグランプリを辞退されてしまったので、すごく残念に思いましたし、強い憤りを感じました。
グランプリが空位となってしまって、あまりにも真剣に頑張ってきた方たちがかわいそうでなりません。

幼少期から日本に住んでいて、幼い頃から見た目で「日本人ではない」と判断をされることが辛かった周りからの奇異的な視線が嫌だったという旨の発言をされており、「日本人として認めてもらいたいという思い」がきっかけでエントリーし、今回のグランプリ受賞によって、

「人種の壁があり、なかなか日本人として受け入れてもらえないことも多くあった中で、今回日本人として認められたと感謝の気持ちでいっぱいです」
「人を見た目で判断しない世の中にしたい」

と語っていたのが素晴らしいと思っていたのですが、他人を傷つけるようなことをしていたことが本当に腹が立ちます。

何かあると木ではなく、森として見られてしまう可能性

ミス日本というのはいわゆる綺麗な日本人の代表を決めるコンテストだと思うのですが、そういったコンテストで不倫をするという他人を傷つけるような最低な人間性を持った人間が優勝する・代表になるということは、下手したら日本人がそういう人種なのだと思われかねないのに、なぜそこまで浅はかなのかが甚だ疑問に思います。

私もできた人間である自覚はありませんが、とあるカテゴリー・分野において有名・著名となる方が今回のように人として悪い側面を見せてしまうと、その分野の方々がまるでそういう人種の集まりかのように思われてしまう危険性があると思います。

例えばコラムニストの伊是名夏子さんのこの騒動や、

五体不満足の著者乙武洋匡さんのこの騒動のように、

事前にきちんと連絡しなかったにも関わらず、無理をさせてまで自分優先で人が動くべきだという考えで批判をして、車イスを使っている人や障害のある人たちってこういうワガママな人種なのだと思われたら、私自身もそのように思われてしまっては本当に迷惑なんですよね…。

たった1人たった数人ダメな代表例ができてしまうと、あたかもそれが全体がそうであるかのように思ってしまうのが人間の性だと思うので、そう思わないようにするべきだと思うのですが、どうしてもそこは難しいと思います。

若者が何かしでかすと「最近の若者は~」、高齢者の方が何か事故を起こすと「これだから老害は~」、どこかの国の人が迷惑をかけると「だから●●人は~」と一括りにされて批判されてしまうんですよ…この世の中。

なので、自分はもしかして何かの代表なんじゃないかと思って行動をするべきだと私は思います。自分と同じカテゴリー・同じ分野の人種が悪いレッテルを貼られないために…。

ミス日本の選考基準に疑問

今回の騒動で、日本人に悪いレッテル・悪いイメージがつけられてしまう可能性・危険性が出てしまうと記しましたが、それ以前にミス日本の審査員は節穴なのか?と怒りを覚えています。

ミス日本には以下のようなモットーが掲げられています。

《「日本らしい美しさ」を磨きあげ、社会で活躍することを後押しする日本最高峰の美のコンテスト》
《美しさとは見た目の容姿だけでなく、心の持ちようや社交性など幅広い人間性が問われます》

「美しさとは見た目の容姿だけでない」と言っているにも関わらず、不倫をして他人を不幸に陥れるような人間性を持った人間の心の持ちようのどこに美しさを感じたのでしょうか?

幅広い人間性というのはそういう人間も美しいと思うということなのでしょうか?
それが日本最高の美のコンテストの審査員の認識なのでしょうか?

答えはノーだと思います。ではなぜこんな人間を優勝させてしまったのか?
日本人よりも日本人らしいのであればともかく、日本人という以前に人として欠落している人を純日本人の素晴らしい方々の想いを踏みにじってまで優勝させなければならなかったのでしょうか?

見た目で人を判断するのは間違っています。ですが、そう思っているにも関わらず不倫をしてしまったら、もう見た目で判断されても仕方ないと思います。
だからやっぱり見た目も日本人でないとダメなんだという考えを助長するだけです。

人は見た目だけでないとしているにも関わらず、内面の審査すらまともにできていないですよね…。一体どこが美しいと思ったのでしょうかね?

そんな間抜けな審査員たちに美しい日本の女性を決めさせても大丈夫なのでしょうか?日本人のイメージダウンにつながりかねない気がして、とてもとても心配です。

どうか二度と今回のような失態を犯さないように、きちんと素行も調べてほしいですし、内面の審査もしっかりとしてほしいところです。見た目だけで判断しないのであればなおさらです。

そもそも美しさをコンテストで競うこと自体が疑問

もうこんなことを言ってしまっては、元も子もないと思いますが、そもそも人の美しさをコンテストとして競うこと自体必要なことなのでしょうか?

男性はこうであるべき、女性はこうあるべき、障害者はこうあるべきとしてはならず、外国にルーツのある人をミス日本として優勝させることも求められているこの多様性の時代の中で、人の見た目や中身を他人と競い合わせて美しいかどうかを決めることって一体どの点で重要なのでしょうか?
美しさって誰かと比べて分かるもの・測るものなのでしょうか?

人間ってそれぞれに美しさを持っていると思います。見た目、心、学力、道徳心、スタイルの良さ、髪の色、着ている服、その人自身のセンス、その人の好きな音楽、力の強さ、足の速さ、発想力などなど美しさの基準というものは無限にあって、人それぞれ違うものだと思います。

SMAPの名曲世界に一つだけの花の歌詞にもこのような一節があります。

花屋の店先に並んだ
いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど
どれもみんなきれいだね
それなのに僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる?

美しさを比べること自体ナンセンスなのだと、SMAPは20年以上も前から歌ってきましたし、槇原敬之は20年以上も前から歌詞で訴えていました。

多様性を認めさせるということよりも、人にはそれぞれ違った美しさがあるのだという考えを持たせる方が真の意味での多様性を認めることだと思います。
多様性を求めるべきとなってしまっては、多様性を認められない人たちが悪となってしまっては、本末転倒だと思いますし…。

人間にとって、この世の中にとって大切なことはその人自身の美しさに気づけることだと思います。そう言う私もなかなかそのように思うのは難しいのですが…。
何でも認めることが正しくはなく、それぞれが思う美しさを持っていることが人間としてのあるべき姿だと思います。

そのため、こういった見た目や人間性を競い合うようなコンテストがなくなって、真の意味での多様性が認められる時代が来るといいなぁと思います。

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