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批判が集まったH&Mの広告キャンペーンとは?


皆さん、こんにちは!HORIです!

今回はこの記事について取り上げようと思います。

 

 

記事・問題の概要

この記事の概要は"衣料品大手H&Mが1月、オーストラリアで展開したキャンペーン広告に「女児の性的対象化につながる」といった批判が集まり、広告を削除・謝罪する騒動があった。"とのことでした。

広告における性的表現や児童ポルノ等の問題を扱うオーストラリアの作家、メリンダ・タンカード・リースト氏はXでこの広告を

「私が学校で関わる子供たちの多くは自分の外見に不必要な注目を集めたがっていない」

「なぜ少女が自分の外見や体、スタイルに注目を集めるべきだという考えを煽ろうとするのか」

と投稿して批判し、他のXユーザーからも、

「女児の性的対象化につながる」

「制服姿で振り向かせようというニュアンスがある」

ルッキズムの意識を植え付けてしまう」

といった声が上がったそうです。

それに対して同社は広告を削除した上で、X上では「広告に不快感を感じた方々に深くお詫び申し上げる。今後の広告の方向性について検討する」と謝罪しました。

過剰すぎる批判

「私が学校で関わる子供たちの多くは自分の外見に不必要な注目を集めたがっていない」

「なぜ少女が自分の外見や体、スタイルに注目を集めるべきだという考えを煽ろうとするのか」

「女児の性的対象化につながる」

「制服姿で振り向かせようというニュアンスがある」

ルッキズムの意識を植え付けてしまう」

などという批判が殺到したとのことで、どのような広告だったのか見てみると…

 

引用:https://news.yahoo.co.jp/articles/856ab5dd0d275ccac5d68602f7fae54f2f74d62a/images/000

ただ2人の少女が制服のような服を着て立っているだけのものでした…。

これだけで批判が殺到したのが信じられません…。

たまたま少女2人を起用しただけであって、少年はオシャレをしてはいけないだとか、制服を着た少女は性的魅力があることを助長しているだとか、女性は絶対にオシャレをしなければならないとか、少女に制服を着せるべきであるとか、性差別したものでもなければ、少女を性的対象としたものでもなければ、ルッキズムに関して問うたものでもないと思います。

必要なのは感情論ではなく、冷静かつ論理的な議論と判断

極端に肌を露出したものや言葉によって強いメッセージ性を訴えたものであるならば、そこまであからさまなものであるなら、批判をされても仕方はないかと思います。

ですが、H&Mそういう意図の広告であると公表していない以上は推測・妄想にすぎないにも関わらず、広告を削除して謝罪をしてしまっては、X上に投稿された意見のとおりであったと認めてしまっているのと同じです。

いち有名な企業の広告でありますので、注目を集めてしまうことも、自分たちが正しいと思ったことを押し通せばいいという単純な話でないことも理解はできるのですが、
いちいち世界中の誰もが納得のできる広告・表現をしなければならないのでしょうか?

 

引用:https://maidonanews.jp/article/15133686?p=28155543&ro=15133686&ri=2

このようにあからさまな表現のものであるならともかく、そうでないものまでなんでもかんでも批判をしてしまっては、表現の自由がなくなる一方ですし、広告制作そのものが困難になっていく一方です。

何かを表現したら、誰かが傷つくかもしれないと過剰に考えてしまっては、訴求できることがなくなってしまいます。

記事内では広告との向き合い方なんて解説していますが、そんなことはあからさまにおかしいと思う物は批判して、そうでないものは批判ではなくあくまでもいち意見として伝えるべきでよいのではないでしょうか?

本当におかしいのかどうか、一度冷静になって考えてから批判をして、批判をされてもどういった意図の表現であったのかを説明するといったように感情で動くのではなく、論理的に考えて議論をした上で取り下げるかどうか判断をしなければなりません。

そうでは無ければ、人間は考えることをやめてしまい、表現の自由を狭められてもはやつまらない世の中になってしまいます。

大事なのは当事者がどう思うかどうか

度々出てくるこうした批判は当事者ではなく、周りから出てくることがほとんどです。

例えば、日本では「障害者」という表現だと「害」という字が"当事者本人が害があるかのように感じるからという理由で「障がい者」という表現をするべきだ"という意見があるそうですが、障害を持っている私からしてみればそんなことは気に留めたことがなかったです。

当事者でもないにも関わらず、さも自分がその当事者の味方をしているかのように、
声を大にして当事者もそう思っているかのように批判をするということは、当事者からしたら迷惑な話です。

そうして、「当事者はこう思っているのだろう」として勝手に代弁することは差別をしているのと変わりません。

そういうレッテルを貼っているのですから。

先の事例で言えば、まるで障害者全員が気にしているかのように思えますが、障害者にだって様々な人種がいるのです。

細かいことを気にする人がいれば、おおざっぱな人だっているわけです。

そのため、代弁者ではなく、当事者がどう思っているのかということを大事にして、
一方的な批判ではなく、冷静で論理的な議論をしてほしいと願います。

他にも最近のニュースについて触れていますので、是非他の記事もお読みください!

今回は以上となります。それではまた、サヨナラ!

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